南さつま市加世田宮原2360
「渡すど根性アコウの木」
渡す・教える・啓発
社内に昔奉られていた「海津見神の祠」、祭神は豊玉彦命の小祠の跡地(更地)に新しく木製の祠を建てこれをやがて周囲の「ど根性アコウの木」が神輿のように担ぎ、将来はこれがツリー神社となるべく、奉斎しました^^
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これが2040年の予想図です。

どうですか、立派な祠でしょう。これは枕崎の山神工房の親方が謹製し、息子さん二人が出張ってきて箱結びという仕方で設えました。この四隅の杭がやがては4本のアコウの木に成り代わるわけです。

神々しさを覚えます。
「わだつみのくに」の神さま、豊玉彦命が祀られています。そして長女の豊玉毘売命(竹屋神社の御祭神)、妹の玉依比売命(鵜葺草葺不合命の妻)もこの海の神さまなのです。 超古代(神代)、この南薩の地は海底でした。まさに「わだつみのくに」だったのです。
豊玉彦の御神体があの開聞岳(ひらききのやま)だと伝わっています。
「わだつみのみや」です、そこへ山幸彦(ほをりのみこと:竹屋神社の御祭神:ひこほほでみのみこと)が竹かごの船で渡った話が古事記日本書紀などに伝えられています。

竹屋神社の氏子さんたちが前園建設さんを筆頭として新しく参拝階段をこしらえてくださいました。^^v
竹屋神社が「焼酎神社」として奉斎されたときのように、この「ど根性アコウの木」4本と祠のことも新聞テレビラジオで報道されました。

どんどん立派になり参詣者が増えてきた竹屋神社です。

社殿の裏手には小高い丘があり岩座と思われる遺跡があります。
明治時代の東京帝国大学教授鳥居龍蔵博士は考古学の権威でしたが、この丘を三皇子(火遠理命に関わる)の陵であろうと論説されています。
こころなしか、顔に見えますね。

「あたし、タマヨリヒメよ!」と言っているような中島りかさんです^^
多くの人が、南さつま市の加世田宮原、竹屋神社で「ど根性アコウの木」のことを知り、ほかの7ヶ所の枕崎市のアコウの木、南九州市川辺のアコウの木を巡詣されると嬉しいです。
いろいろな文化が渡ってきた。海を渡ってやってきた。それがこの地でミックスされてよりよい発展を遂げた。焼酎製造もそのひとつです^^ 知恵が「渡ってくる」
この請願スポットのテーマ「渡す・教える・啓発」は、ひとびとの知恵と心の行き交いを大事にしたいという思いなのです。
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